障害・共生社会を考える

私の視点や経験から障害のある人やその家族、共生社会について考えたことを書いていきます。

「次は障害者じゃなく生まれ変われるかな」

 人生で初めてブログを書きます。

 

 私には養護学校(今は特別支援学校)を卒業し、少しだけ知的障害のある友人(A君)がいます。15年以上の付き合いです。会社でバリバリ働いています。

 A君との出会いは非常に衝撃的で、出会ってすぐに「僕の家には外国人がいるんだ…」という話から始まりました。おそらく3分~5分の話をしたと思うのですが、それ以降の話はほとんど覚えていません。出会ったばかりの人に言うこと?と思いながら、「どこの国の人?」くらいは質問を返したとは思いますが…。

 実は、A君は、日本人のおじさんと、フィリピン人のおばさんに育てられていたのです。父と母ではありません。叔父と叔母です。後になってこの事実を知った時には、よく最初に「僕の家には外国人がいるんだ…」という発言ができたなと驚きました。それは、私ならその事実を隠したいと考えてしまうんじゃないかと思ったからです。偏見や差別的な考えかもしれません。でも、「社会に受け入れられるかな」「嫌われたり、いじめられたりしないかな」と弱い部分を隠したくなる心が人間にはある気がします。

 A君は、どんなことでも素直に私に心を開いて話をしてくれます。仕事のこと、趣味のこと、恋愛のこと。だから私も心を開くことができます。そこに障害があるとか障害がないとかは存在しません。

 

 今日のタイトルの話になりますが、10年以上前、A君の悩みや恋について相談を受けていた時、「次は障害者じゃなく生まれ変われるかな」というメールが届きました。私は答える言葉が見つかりませんでした。

 どんなことでも話をしてくれるA君ですが、障害者であることについては、あまり悩みや相談を受けたことはありません。私たちでは、わからない深い悩みや行き辛さがあるのだと思います。このようなきっかけで、「障害者の生活」「障害者の家族の生活」最近よく耳にする「共生社会」について考える日々が私の中で始まりました。

 

 最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。「障害」や「共生社会」について、過去の経験を思い出したり、身近に起きた出来事などで時々ブログを更新していけたらと思います。今後ともよろしくお願い致します。